鉄砲伝来《芋焼酎》
かめ壷仕込み・かめ壷熟成 キレの良い飲み口、ほのかな香り
1543年にポルトガル人によって鉄砲が伝えられた地「種子島」。この地で焼酎を醸す種子島酒造さんは全て「自社農園」にて栽培された新鮮なさつま芋で焼酎を造っています。
芋焼酎「鉄砲伝来」は、自社農園で栽培された『白豊』を原料に、一次・二次とも昔ながらの「かめ壷」で仕込まれています。さらに出来上がった原酒を2年間かめ壷で熟成させた、ほのかな甘い芋の香りでキレの良い飲み口の焼酎に仕上がっています。
ロック・水割り・お湯割りとお好みの飲み方でどうぞ。
「鉄砲伝来」について
1543年(天文12年)8月25日、九州南方の種子島にやってきた一隻の中国船にポルトガル人フランシスコ・ゼイモトが便乗していた。彼の持っていた鉄砲に着目した時の島主「種子島時堯」は、金2000両を投じてこれを譲り受け、使用法を教わる。鉄砲の威力を知った時堯は、種子島在住の鍛冶『八板金兵衛清定』に命じて早速その複製をつくらせた。これより鉄砲の製作は、またたく間に全国にひろがり、やがて滋賀県国友や大阪府堺などで大量につくられるようになった。
鉄砲が種子島に伝来した当時、日本は各地に群雄が割拠する戦国時代であった。いち早く鉄砲の戦略価値に目をつけた織田信長は、1575年(天正3年)5月21日、長篠の戦いに数百挺の鉄砲対を編成、武田勝頼の騎馬隊と対峙して、圧倒的な勝利を得た。新兵器の出現で、これまでの戦闘方式を一変したことを知った群雄武将は、急いで鉄砲の調達につとめ、国内の鉄砲鍛冶が盛んになった。一挺の鉄砲が種子島に伝来してから約30年、驚くべき速度で普及したのは、日本の鈑金技術がきわめてすぐれていたことを示すもので、外国にこのような例はみない。
鉄砲伝来《芋焼酎》
- 1800ml
- ¥2,619(税込)
- (税抜:¥2,381)
- 在庫: 1 本